数週間の制作作業

トーヴェ・ヤンソンの伝記には、祭壇画を描くために1953年5月末のテウヴァに到着したと書かれています。これに先立って、彼女は祭壇画の計画、準備に春を費やし、また建築家と一緒に教会も訪れていました。
 
ただ、いつ祭壇画が描かれ、作業にどのくらいの時間がかかったかについては、当時を知る人々の記憶はまちまちです。ある人は寒い季節であったと言っていますが、秋に描かれたと記憶している人もいます。ただ、多くの人が制作作業は数週間、あるいは1ヶ月くらい続いたと語っています。
 
テウヴァに着いたトーヴェ・ヤンソンは、はじめ、現在はテウヴァ成人教育センターになっている牧師館に宿泊しましたが、その後は宿コルホネンに移りました。彼女の部屋は川岸に近い2号室と記録されています。宿屋はアセマ通りにあり、教会から数百メートルのところにありました。
 
ヤンソンは静かに仕事をすることを好み、興味深々の野次馬を追い払った、と言われています。教会での作業が終わった夜には、彼女はムーミンを書くことに専念しました。当時、彼女は「危険な夏祭り(邦題:ムーミン谷の夏祭り)」を書いる最中でした。
多くの書籍に、テウヴァ教会の祭壇画は1954年に完成したと記載されています。しかし、祭壇画が公開された教会の落成式は、1953年の11月下旬に執り行われています。ただ、1954年になってから祭壇画に幾分の仕上げがなされたかどうかは、明らかではありません。