テウヴァに住んでいたティモ・スオヴァーラさんは、教会でボイラーマンとして働いていました。彼はトーヴェ・ヤンソンの教会での制作作業をこっそり覗いていました。

「最初トーヴェのところに行ったら、見られているのが嫌いらしくて、追い払われちゃってね。でも物陰に潜んで、ねずみみたいに静かに覗いていたのさ」 
ティモ・スオヴァーラさんは、ヤンソンがタバコを吸いながら真剣に絵を描いていたことをよく覚えています。 「わたしゃ、ときどきボイラーに薪を足しに行ったんだけれど、すぐに戻って来て、また見てたんだ。トーヴェはぜんぜん気がついていなかったさ。芸術家が仕事をしているのを見られるなんて、すごいことだったよ。だんだん絵ができてきて、すごくいいものになった」
 

スヴァンテ・ラハデス(1893〜1975)さんは、教会の建築工事に最初から最後まで携わりました。最初はコスティ・ホルメーン工務店の従業員として、コスティ・ホルメーンが亡くなった後は、工務店の親方をしていたパーヴォ・ライハの下で教会の工事現場で働いていました。彼はもともとセメント混練職人でしたが、必要があれば他のセメント作業や手伝いの仕事をしていました。
 
ハメーンリンナに住むエイラ・セッパさんは、祭壇画を初めて見たときの驚きをよく覚えています。
「天までとどくような縦長の大聖堂の祭壇画を見慣れていたので、この祭壇画は小さな斑点のようにしか見えなかったんです。でも横長の形にもだんだんなじんできましたけど」
 
教会が工事中であったとき、エイラ・セッパさんは夏休みをテウヴァで過ごしていたので、教会をしばしば訪れました。彼女はテウヴァの多くの住民とは違って、トーヴェ・ヤンソンとおしゃべりをしました。「町の人はヤンソンさんに気軽に話しかけなかったですね」
 
教会が建設された当時の教会区司祭はユッシ・アンナラでした。アンナラの娘であるエーヴァ・ニエミさんは、建築家エルシ・ボルグが建設委員会に祭壇画の画家として芸術家トーヴェ・ヤンソンを推薦したと、記憶しています。
 
エーヴァ・ニエミさんは、一枚のトーヴェ・ヤンソンの写真を持っています。それは落成式のコーヒーの席で撮影されたものです。写真には、ボルグ、教会区司祭アンナラ、落成の儀式を執り行った大司教サロミエス夫妻も一緒に写っています。
 
牧師館に宿泊していたトーヴェ・ヤンソンは、都合がつくときは司祭家族と一緒に夕食のテーブルを囲んだと、エーヴァ・ニエミさんは語ります。